「東大に落ちていたらどうしてた?」そんな話を息子としました。
息子は「ダメだったら私立へ行く」とずっと言ってたのですが、どこまで本気だったのか。
あらためて聞いても
「浪人は精神的に無理だと思ってた、現役でもこれだけ追い詰められていたから、浪人することは考えられなかった」
自分が精神的に持たないと思っていたらしいです。
とは言え本当にそれで納得できるのか、私には疑問でした。
受験終わった直後はもうこんなことやりたくないと思うだろうけど、それであきらめきれるのかな?
もしも得点開示でわずかな点差だったらどう感じるのだろう。
息子の高校でもわずか0.3点差で東大に落ちた先輩がいました。
その人が浪人したのか、別の大学に行ったのかはわかりませんが。
私は、もし息子が東大がダメだったら、後期の国立に進んで仮面浪人する可能性も残すことをすすめるつもりでした。
昔の私はそんな中途半端な事はダメだと言ってましたが、実際の大学受験の厳しさを目の当たりにすると、保険をかけて再チャレンジでもいいのではと考えが変わっていました。
金額的なことを考えても私立に4年かかる金額を思えば、国立の1年分の授業料と入学金を無駄にしても仮面浪人して東大に入学する方が学費は安そうだし、私としては私立の大学より後期の国立の方が息子に合っているのではとも思ってました。
ダメだったらどうするか?という話は早い時期からずっとしていたのですが、それでも合否が出た直後の精神状態は平常時の心と違うのではないかなとか、いくら事前に話して決めていても少し時間がたつと気持ちが変わるかもしれないなとか。
そんなことを私は考えていたのですが、受験前に「ダメだったら仮面浪人したら?」とは言えませんでした。
そういう余計なことを親が言ってしまうと、浪人もありかなと心を緩めて集中力が落ちてしまうのではないかと心配だったので。
現役にこだわるギリギリの姿勢で戦うからこそ、全部の力をそこに注げるのではと考えたり。
一方でワンチャンスだけというのも息子の心を削りました。
受験期にメンタルやられてる息子をみると、浪人してもいいのだからと言って楽にしてやりたかった私もいました。
終わってみれば、あれこれと私がひとり心を悩ませていたことは杞憂で終わりました。
色々なことを想定して考えを巡らしていたから、私も随分心が疲れました。
高校生になってからは先回りしないことを一番気をつけて息子に接していました。
それは、先回りしないから無関心ということではなくて、先回りしないからこそそれまで以上に考えを巡らし気をつかってきた三年間だったなと振り返ります。
子育てはそれぞれの段階で親の役割が変わりますが、自分の年齢が上がってきたしんどさも相まって、高校生の親は思ってた以上に大変だったななんて今振り返っています。
私がひとりで勝手に気疲れしてただけなんですけどね。