考えるお母さん**大学受験を見守る         

塾なしで大学受験まできた子の日々や過去をふりかえるお話

「余計な勉強はしないでください」と言われて、ふと思った中学時代

 

定期テストが近づいてきて、この週末は久しぶりにいいカンジのスイッチが入っていた子どもです。

先週の平日は、「疲れた」「集中できない」そればかり言ってたので週末は大丈夫か?と心配してたのですが、集中している姿をみてひと安心。

 

 

そんな子どもと、学校の話をしていました。

話のきっかけは、ある教科担当の先生から送られてきた動画配信のお知らせでした。

 

子どもがスマホをチェックしてて、

「あ、〇〇先生から、また動画が送られてきてる」

と言うので、

「テスト範囲のところ?もしかして授業が間に合わないから動画配信なの?」

と聞いてみました。

「いやそうじゃなくて、元々、ここの部分は授業ではやらずに動画配信にするっていってたから予定通りだと思うよ」

なるほど、今どきは学校の授業もハイブリッドなのね。

 

 

先日も書きましたが、高校はこんな感じで色々とネットを活用しています。

課題がネットで配布されたり、問題の解説動画が配信させたり、授業動画が配信されたり。

先生方がそれぞれ年間スケジュールを組んで、その中で色々工夫されているのを感じます。

 

 

「すごく効率的なやり方をする高校だよね」

と感心していると。

「この間、担任にも(全体に向けて)余計な勉強はしないでくださいって言われたよ」

と言ってました。

「インプット3割、アウトプット7割って言ってたかな」

あら、うろ覚えなの…?

 

おそらく「余計な勉強」というのは、ノートにきれいに書いてまとめるとか、何度も書いて覚えるとか、完璧になるまでと言っていつまでも基礎問題ばかりやっているとか、インプット作業のことを言ってるのだと思います。

 

何かに書くこと、読むこと、自分が解ける基礎問題をやることというのは、あまり負荷がかからない楽な作業なんですよね。

負荷がかからなくて楽な割には、時間はそれなりにかかるし、終わった後でやったノートをみるとなんだかちゃんとやったような気分にもなるし。

そして、やったような気にはなるけど、それほど力はついていない。

 

一方、アウトプットは、とっても負荷がかかる作業です。

(この場合のアウトプットは簡単に解ける基礎問題は除きます)

自分の頭の中からひねり出さないといけないし、数学なんかは1問解くだけでもすごく時間がかかるし苦しい。

やる気や集中力がないとできない作業です。

インプット作業はぼんやりした頭でもできますが(頭に入っているかどうかは別として)、アウトプットは、本人の強い意識がないとできない作業でしょう。

 

いくらでも時間があるのなら、きれいなノートを作っても、基礎問題を何度も何度もやってもいいと思うのですが、受験のゴールを考えたらそんなにのんびりとはしていられない。

特に国公立志望だと科目数が多いので、本当に頑張らないと間に合わないでしょう。

 

先生方も授業だけでなくいろいろなツールを使って効率をあげる工夫をしてくださってるなと思いました。

 

また、子どもに聞いて驚いたのは、学校でノートを使うことがほとんどないということ。

「授業プリントがあるものが多いから、そういうのは授業プリントに書き込むし、そもそも先生が黒板に板書する授業って高校にはあまりないよ」

 

へ?

 

「授業の内容を事前に用意してプロジェクターで映し出す先生が多いよ」

「〇〇先生は、プロジェクターに映し出した内容は授業後にPDFで送るから、授業中はプロジェクターに映し出されてる内容をノートに書いたりせずに授業に集中して言ってたよ」

 

黒板の文字を写経させられていた時代の高校生(私)からすると、時代の違いを痛感。

黒板にとにかく書きまくって生徒に背中をみせながら授業の内容を話していた先生、そして先生の話を聞くよりも黒板の文字を写し取ることに必死だった生徒。

先生の顔を観ながら授業を聞く方が絶対にいいだろうなと思いました。

 

 

そこで、ふと思い出した子どもの中学時代。

定期テストの度に行われていたノート提出とワーク提出。

なんだったんだんだろ、アレ。

 

先生が黒板に板書した内容をきれいに写し取る、色や線を使って大事なところを目立たせて見やすいノートを作る。

疑問に思ったこと書いて後で調べて追記する。

「〇〇さんのノートはイラストや図も書かれていて、とても工夫されていてすばらしい。みなさんもこういうノートを作りましょう」というプレッシャーをかけられる。

まるで自作の参考書でも作るかのような作業。

えっーと、そういうのは参考書があるので、作る必要ないんですけど…。

 

 

もっとわからなかったのは数学のワーク。

 

問題を解いて丸つけしただけでは評価は普通で、最高評価をとるためには、ワークの使っていないスペースのところに、要点まとめを書き込む(要点は、教科書にかいてあることをかいつまんで書く)、これも色や線を使って見やすくきれいに。

百歩譲って、間違えた問題に対してそれをやるのならわかる。でも、なぜ全問正解のワーク(子どもは数学が得意だったのでワークで間違えることはほぼ0)に要点を書き込まないといけないのだろう。

全部理解できているから問題が解けるのに、なぜ、理解していないふりをしないといけないのか?

 

子どもは中学の時から日常的な勉強にノートはいらない子でしたが、内申点のためだけに仕方なく担当の先生の評価が高くなるノートやワークを作ってました。

勉強には必要ないのに、評価のためだけに。

提出日が定期テストと同じ日だったので、なんでわざわざテスト勉強の時間をとり上げるような提出物を課すのか意味がわからないと、よく親子で言ってました。

 

これこそ「余計な勉強」だったんじゃないか?

 

 

中学校であんなにやらさせていたのだから、まとめノートを綺麗に作ることは勉強として正しいんだと思ってしまうと、インプット中心の勉強が大切と勘違いしてしまいそうです。

あれは勉強法ではなく中学校が内申点をつけるためにやらせていた事、そういう風に考えていたので子どもはノートから解き放たれて喜んでいます。

 

 

 

(おまけ)

子どもは先生ウケするノートを作るために、中学時代はカラー芯のシャーペンを使っていました。

ポイントを書く時に赤と青を使っていたそう。

マーカーペンも使っていました。

マーカーはステッドラーの黄色とピンクを。

 

高校生になってからはカラー芯のシャーペンは全く使っていないです。

(私におさがりが来ました)

 

いま、黒シャーペン以外に使うのは丸つけ用の赤ペンだけ。

赤ペンは色々使って、最終的にこのエナージェルにたどり着いた模様。

今はこれしかつかいません。

デザインがいまいちですが、使い心地が一番いいそうです。

 

 

 

 

 

 

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