冬の思い出と、「授業の人」の理由

 

今日は、この時期がくると思い出す子どものエピソードと、そのエピソードからつながる前回の記事にも書いた「授業の人」の理由、のお話です。

 

 

子どもが通っていた中学校では、毎年1月に学校の体育館で書初め大会が行われていました。

これは中3の時の書初め大会で、子どもの行動に驚かされた話です。

 

中3の冬はコロナ流行中ということもあり、書初め大会は無いだろうと予想していました。

なぜそんなことを気にしていたかというと、中2の書初め大会の後に、「もうそろそろ墨汁がない」と子どもに言われてたから。

中学を卒業したらもう習字はないので、中3の書初め大会が中止なら墨汁を買わなくて済むわと考えていました。

 

しかし、体育祭も文化祭も球技大会も修学旅行も合唱コンクールも卒業旅行もすべて中止だったのに、なぜか書初め大会だけは決行されることに。

 

私は、とりあえず近所の百均を2件のぞいてみたのですがどちらのお店にも墨汁がなく、しかたなく百貨店の書道コーナーものぞいてみたらこちらはやけに高級な墨汁しかない、買ったところで絶対に大量に残って捨てることになるし、もったいないなどうしようか考えていたら。

子どもが「墨汁買わなくていいよ」と言いました。

冬休みの宿題に書初めの練習というのはあるのだけど提出はしなくていいのでやるつもりはないし(受験生だし、そんなことやってる時間はない)、書くのは書初め大会の日だけだから、もし足りなくなったら友だちに墨汁をもらうよ、と。

子どもがそういうならいいかと、結局墨汁は買いませんでした。

 

書初め大会の当日、子どもが家に帰ってくると、

「すごくうまく書けた!」

「みんなにもうまいって言われたよ。もしかしたら、賞とれるかも」

と自信満々に言うのです。

そうは言っても、子どもは硬筆も書道もやったことがなくて、小学校時代から書道で学校代表に選ばれたり賞をとったこともありません。

習字は、小学生の時から賞をとるのは経験者の子たちばかりだし、いくらうまく書けたといってもどうせ選ばれないだろうなと心の中で思っていました。

ところが数日後、「書初め大会、銀賞もらった」と言ってきました。

賞といっても学校の先生が選ぶ校内だけのものですが、それでも書道では初めての経験です。

 

しかし賞を取ったこと以上に私を驚かせたのは、賞をとったよの後に子どもが話し出した当日の子どもの行動でした。

 

書初めはね、先生が書初め用紙を3枚くれるんだけど、1枚だけ書いたんだ」

「えっ、どういうこと?3枚書かなかったってこと?」

「そう、2枚は使わなかった」

「普通は3枚書いてその中から、一番いいのを選んで提出するんじゃないの?」

「うん、そうだよ。でも1枚だけ書いた」

 

なんでそんな事をしたのか話を聞いてみたら、墨汁が少ないから1発勝負で1枚だけ書く!と決めたというのです。

(墨汁足りなかったら友だちにもらうって言ってたのに)

 

書初めの時間のすべてをこの1枚に使うと決めたから、1文字ずつじっくりと見本をみて考えながら丁寧に書いたんだよ。この1枚書くのにすごい時間かけた、みんなの3枚分の時間があったけど、むしろ時間内に終わるか心配だったくらいゆっくり書いた」

(えええー!)

 

「二本の矢だよ。吉田兼好も言ってたでしょ?」

「二本の矢?」

徒然草で、二つの矢をもつことなかれって」

「もうひとつあると思うと、ひとつ目がおろそかになるっていうの?」

「そうそう。一本しかなければ、その一本に集中できるってこと。どんなに集中しようと思っていても、心のどこかにはまだ残っているという油断が生まれて集中力を欠いてしまうっていうヤツ」

 

この言葉を思い浮かべなら、1枚だけ書こうと決めたんだそうです。

 

あー、子どもなら、やりそうなことだなと思いました。

小さい時からたまに、自分なりの論理みたいなものが急にむくむくと湧き出て行動してしまうというか。

どちらかというと「なんでそう思った!?なんでそんなことしちゃったの?」みたいにあきれるエピソードの方が多いんですが、この時は大成功だったようです。

 

 

話を戻して、

 


初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。

毎度ただ、得矢なく、この一矢に定むべしと思へ。

 

徒然草「ある人、弓射ることを習ふに」(吉田兼好))


 

前回の記事に、子どもは「授業の人」と書きました。

fumiax.hatenablog.com

 

「授業の人」という言葉は、とにかく学校の授業が一番大事だと思っているという意味で私は使っています。

 

塾や予備校に行ったことがない子どもにとって授業は常に「一本の矢」なんでしょう。

ここで学ばなければ他に学ぶ機会がない。

小学生の時からそれが当たり前だったので、子どもは授業が「一本の矢」だなんて思っていないかもしれませんが。

 

いまここで授業を聞かなくても、後から何かしらの方法で聞けるのならば、後でもいいかという気のゆるみも生まれるのかもしれません。

いまここでこの問題を解かなくても、後で同じような問題をやるだろうし解説もしてもらえる、と思えば後で頑張ろうと思うかもしれません。

子どもには小さい時から「後で」がないから、なるべくして「授業の人」になったのかもしれません。それを繰り返しているうち、さらに「集中力の人」にもなっていったのかも。

勉強に関しては、もうさすがに「初心の人」ではないと思うので、二本の矢をも持ってもいいような気がするのですが、いまだ二本目の矢を手にしようとはしないです。

 

前回「授業の人」の話を書いていた時に、書道のエピソードを思い出したので今回、書いてみました。

 

 

この本、面白かったです。↓

 

マンガを読んだから次はこれを読みたい。

 

マンガつながりで。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ながら読んだら、面白かったです。

登場人物が多すぎてマンガだけだと挫折しそうでしたが、鎌倉殿のおかげで読めました。マンガは上中下刊の三冊です。

 

こちらも気になる。

 

 

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