今日は「記述模試の自己採点の大切さ」について考えてみようと思います。
先月「マーク模試の自己採点の大切さを考える」という記事を書きましたが、マーク模試と記述模試の自己採点の大切なポイントは違うと思うので、今回は記述模試です。
大学入試において記述模試は関係ない、記述はあっても論述形式の問題はないという大学も多くあると思います。
今回は記述(論述)問題がある大学受験を想定して考えています。
まず初めに私が強調したいことは、「採点」というワードであることをお伝えしたいと思います。
模試受験直後、内容を見直しして出来なかったところを復習することの大切さは当然のことととして、もう1つ先の採点をすることの意味を考えます。
記述模試を受けた後はどんな流れでしょうか?
家に帰ってから解答冊子と自分の問題用紙の書き込みを見比べて自己採点をやられているでしょうか。
高校で団体模試を受けている場合は、学校へ自己採点を提出しないといけないという方もいると思いますが、個人で受けた時は自己採点やっていますか?
マーク模試と記述模試の圧倒的な違いは、自己採点の難しさだと思います。
マーク模試は選んだ記号を問題用紙に書き留めておいて解答と比べるだけですからそんなに難しくないですよね。
一方で記述模試はどうでしょうか?
マーク模試に比べると記述模試はかなりめんどくさいですよね。
自分の書いた解答を全て問題用紙に書き込めていれば自己採点しやすいでしょうけど、模試の時間が足りないことも多いでしょうから、ポイントだけメモ書きしただけというのもあるだろうし、答えがよくわからなくて時間もないから適当な答えを直接解答欄に書いたという場合もあるでしょう。
マナビジョンのHPの自己採点のQ&Aのページです。
>試験本番では問題冊子に自分の解答を確実にのこしておきましょう
なんて書いてありますけど。
自分が何を書いたのかわからなかったり、解答をみても自分の答えがその解答にあてはまっているのかどうかの判断が難しかったり、正解できている問題ならば自己採点は簡単ですが、部分点の対象になりそうな時は迷いますよね。
模試の後に自己採点を学校に提出するようにいわれてるけど、よくわからないから適当に計算して出してしまえという人もいると思います。
また個人受験の場合は自己採点の義務もないので、とりあえず記号問題だけ確認して、どうせ少し待ては採点された答案が返ってくるのだからその時に見直せばいいやとなることもあるでしょう。
私も当初、記述模試の自己採点ってどうなの?意味あるのか?と思っていた親でした。
なぜなら高1の時の息子の自己採点は、返却された時の結果といつも大きな違いがあったからです。
そしてそれはたいてい自己採点の方が低くて、毎回うぁーそんな点で大丈夫なのかしらとドキドキさせられて、結果が返ってくると「あれ、意外といい結果じゃないの?」の繰り返しでした。
自己採点を鵜呑みにしてネットに上げてくれている前年の成績と比べて、いやこんなに点低くて大丈夫と思って不安になり、でも結果が返ってくると点数は自己採点より高くてそんな心配しなくても良かったんだわとなってばかり。
おそらく息子も高く自己採点して結果が低いとショックを受けるから、自己採点は低めにつけるようにしていたのだと思いますが。
これに意味があるの?
毎回、心配させられていたので、私は自分の心の負担にならないように、息子が自己採点を私に言ってきてもその場で聞くだけにするようにしてました。
そんな私が、あれ?と思うようになったのは、息子が高2の終わりぐらいからだったと思います。
それは息子の自己採点と本番点が大きく外れなくなってきたのです。
私は相変わらず自己採点を気にしていなかったのですが、息子が自己採点と比べながら私に色々話していたので、その話を聞いていて気がつきました。
そういえば高校の定期テストも、今回は世界史は〇〇点だなとか、英語は〇〇点ぐらいとか言ってるのも点数が外れなくなってきて、なんだかどのテストも自己採点がちゃんとできるようになっていないか?と思ったのです。
(高校の定期テストも学年が上がるごとに記述問題が増えていました)
息子もだんだん自己採点に自信を持つようになってきたようで、点が思っていたものと違う時は、この問の採点はおかしい、これだったら部分点が入るはずなどと文句も言うようになりました。
そして明らかに自己採点の精度があがってると思うようになったのは高3です。
特に東大の冠模試は自己採点との差がどんどん縮まっていました。
これはどういうことなのか?
高1の時から、解説を読みながらわからないなりに何度も何度も記述問題の自己採点をやってきました。
そうするうちに自分の中に採点の視点を持つことができるようになったのでは?
そして問題を解いている時に、この問題はどこに点が入るポイントがあるのか、どこが部分点なのか、そういう採点基準に意識をむけながら解答を作るようになったのかと考えました。
そしてこの視点を持ちながら模試を受ける事で、自分が書いた記述の解答の記憶も残るようになったのではないかと思いました。
高1の最初の頃は、「自己採点やれっていわれても、解答に何を書いたのかなんて全然覚えてないからできないよ」と文句を言ってることも多かったのですが、いつの間にかそういうことを言わなくなりました。
これとこれが書いてあれば部分点がはいるだろうと自分が思ったものが、自己採点した時に正解だったか、間違っていたのか、そういう見方ができるようになったのではないかと、そういう意識を持ちながら書いているので漫然と解答を作って書いていた時よりも自分の解答が記憶に残りやすくなったと思います。
模試の結果が返ってきた時に、自分が採点基準と思っていたところはどう判断されたのか?部分点の入り方はどうだったのか?そういうことを繰り返しやっていたので、点数の入り方が試験を解いている時に浮かぶようになってきたのだと思います。
勉強も進んできたので、問題への理解も深まっていったということも当然あるとは思いますが、解答者の視点だけでなく問題作成者の視点に近づけていけたのかな。
記述の自己採点なんて意味があるのだろうか?と思っていた私ですが、これは非常に意味のあることではないのか?と思ったわけです。
そして、これが出来るようになのには学力を上げることも当然ながら、何度も自己採点をやってみる経験が大事だったのではないかと。
高校が、共テ模試だけでなく記述模試でも毎回自己採点を提出させていたのは、こういう意図があったのかしら?
息子が高校生だった時に、模試があるとその模試をキーワードにXで検索をかけてポストを読んでいたのですが、記述模試でもちゃんと自己採点やってあげてる子、結果がでてから自己採点と比べている子、等々。
勉強に真摯に向き合っている子はちゃんとやっているなと思いながらみていました。
問題を解く時に、問題作成者の意図を読み取ることはとても大事で、どんな解答を求められているのかという視点で解答を作っていく必要があります。
記述模試の自己採点をやることでそういうところも鍛えられるのでは?と考えるお母さんは、記述模試の自己採点の大切さについて考えてみました。