今日は、なぜ私が高校生の子どもの勉強状況を細かく把握できているのか、その理由についてお話してみたいと思います。
このブログ、子どもが中3の時から書き始めていますが、もしかしたら「このお母さん、なんでこんなに高校生の子どもの勉強のことを色々知っているの?」とか「子どもの勉強に口を出しすぎじゃない?」「子どもから毎日根掘り葉掘り聞きだしているんでしょ」「子どもに鬱陶しがられてそう」なんて思われているかもしれませんが。
実際のところはどうなのか?
答えは、
「子どもが私になんでも話すから」
なんです。
確かに小学生の時や中学のはじめの頃までは、私の方から色々聞いていました。
「宿題はあるの?」
「社会の授業はいまなにやってるの?」
「今、なにかやらないといけない提出物はあるの?」
でも中学校生活にも慣れてきた中1の秋にはもうそろそろ手を放していいだろうと思って、私は意識的に勉強のことを聞くのをやめました。
私がいつまでも聞いていたらそれを頼りにするだろうし、自分でいろいろ考えて判断できるようになって欲しいと思っていたからです。
それに親に色々聞かれるのがうっとおしくなってくる時期だと思っていたので、あれこれ言って子どもに嫌われたくないなぁなんて考えていました。
しかし私が聞かなくなっても、子どもは相変わらず私に勉強の話をしてました。
「今日、数学の宿題がある」「来週の水曜日までにレポート提出がある」「月曜日の朝8時半までに数学のノートを提出しないといけない」「体育は来週から柔道だって」
最初のうちは今までの習慣が残っているから、聞かなくても自分から私に言うのかなと思っていました。
中学生の時は塾なし高校受験ということもあって、定期テストの勉強や、長期的な受験勉強の計画を立てる時の相談相手(というか、ほとんど話を聞いてる人)はやっていたので、そういうのもあって、子どもは私に色々話すのだろうと思っていました。
でもこれ、高校生になった今でも続いています。
高校で行われている小テストがいつあるとか、いつまでに数学の課題の提出があるとか、共通テスト向けの理科基礎の問題集を始めたとか、英語のリスニング対策にこれをやろうと思うとか、受験までのスケジュール立てたけどみる?英作文の添削返ってきたけどみる?模試の見直しを週末にやろうと思ってるとか、毎日、色々話してきます。
さらに「今日は、夕方から夕飯までの間にリスニングをやって、お風呂上りから世界史をやろうと思う」なんて本日の勉強計画まで聞いてもいないのに言ってきます。
そういわれても「あ、そうなの。頑張って」ぐらいしか言えませんが。
なにこれ?
私に話す習慣が続いているだけなのか?と思ってたのですが、だんだんこれって私を利用しているってことなのかなと気がつきました。
「来週の水曜日に単語テストがある」と言っておけば、火曜日ごろに私が「そういえば明日だった?単語テスト」なんてタイミングよく言ったりします。
「週末に模試の見直しするって言ってたけど、今日やるの?」と土曜日に聞いてみたり。
これに対して「そうだよ」と言うこともあるし、「そうだった!忘れてた」ということも。
会話として一度、口にすることで子どもは自分の意識の中に刻めるし、日にちが近くなってくると私がそのことを言い出すので知らず知らずのうちに私はリマインダーとしての機能を果たしていることになります。
「世界史のトルコがややこしくてさ、なんたらがなんたらで、どうしたこうしたで(もうこのあたりは一切、私には理解できない話)、だから覚えられない」みたいな話もしてきます。
私が全く理解できない話をなぜ聞かせようとするのか?これは人に話すことで、自分の頭の中を整理させようとしているのだと思います。
勉強計画を私に話す事も、私の意見を聞きたいというわけではなくて、自分の考えを口に出してながらもう一度まとめているのでしょう。
勉強計画を聞かされると私の方もこれはこの時期からでいいの?とか、こっちはやらなくていいの?とかついつい質問してしまうのですが。
それに対して私が納得するような説明をすることも、自分の中でこの計画で大丈夫なんだという確認作業につながるのだと思います。
自分でいうのもなんですが、私はまぁまぁ良いインタビューワーじゃないかと思っています。
するどい突っ込みがはいる(入れてるつもり)ので、それに対してきちんと答えられるか根拠が示せるか、そういうことでも確認してる気がします。
勉強の中身も、勉強の計画も、口に出して説明をするという作業をすることで、頭の中を整理しているようです。
それから自分のこれからの行動については、私に言うこと(宣言する)ことで自分の計画をより実行できるように仕向けているのだと思います。
わざわざ自分で言っておいてやらないというわけにはいかないし。
私も子どもに計画を聞かされていると「お風呂上りに世界史やるって言ってなかった?」(ここでもリマインダーに使われてます)とか、言わないといけない気がしてくるので。
思春期の子が親にこんなに話すのか?と我が子ながらに思う事はありますが。
私自身は、子どもが親に話しやすいようにと気を付けていることはあります。
例えば、「お風呂上りに世界史やるっていってたのにやらないの?」と言った時に、「やっぱり今日はやらない」と言ったら、もうそれ以上は言わないとか。
ここで「やるっていったのになんでやらないの!」なんて怒り出したら、もう親に言うのはやめようとなりそうなので、ぐっと言葉を飲み込んで次に期待します。
(だいたい、私がやりなさいと言ったことでもないので、私が怒る必要もなかろうと私も冷静に考えたりします。ただやらないものをなぜ私に聞かせたのかと、ちょっとイラッとはしますが)
それから聞かされた計画の内容が良くないと思うような時も、いきなり「それではダメだよ」というように否定をしない。
まずは、なんでそう考えたのか説明を聞かせてもらう。
その上でやっぱりダメだと思う時は、私の意見としてダメだと思う理由を話す。
私の話に子どもが納得しなかったら、私はそれ以上は言わない、言葉を飲み込む。
こういう時はこちらの意見だけ子どもに投げておくと、その場では子どもが納得していなくても、その後に私の意見のことをもう一度自分の中で考えてくれるのがわかっているのでそこからは任せる。
そしてもし後から自分の意見を変えて私が言ったようにすると決めた時は、「ほら、お母さんが言ってた通りじゃない!」とは決して言わない、ここでも言葉を飲み込む。
できるだけさりげない「そう」とだけ言う。
そうです。
私が実践しているのは、言葉を飲み込むこと。
話をしていると子どもにもうひとこと言いたい!って思う事いっぱいあるんですけど。
小学生の時だったら絶対に言ってたようなことも、中学や高校生になったら言うのをやめたこと多いです。
その決定的な一言を言わなくても、ちゃんと子どもの中には浮かんでいるはずだから。
そこは言わなくても子どもがわかっていることを信じる。
もうひとことで言う言葉は、たいていは図星で、子どもはそれを言われたくない事が多い。
親に正論をつきつけられるというか、もうそれを言われたらぐうの音もでないというか。
どうしても会話で追い込まれてしまうカンジがすると思うので。
こういうことがよくあると、親との会話を避けるようになるかなと思って。(私自身の思春期を振り返って)
言葉を飲み込むと自分の中にモヤモヤが残る時もあるのですが、ここは親の頑張りどころと思ってぐっと耐えます。
ということで、
子どもの話をよく聞く(わからない話でも聞く努力をする)
もうひとこと、言いたくなる言葉を飲み込む、
会話で子どもを追い詰めない。
こんなことを普段意識しています。
これが功を奏してなのか、子どもの元々の性分なのかわかりませんが。
とにかく子どもはよく私に話をしてくれます。
英語は何やったらいいのかわからなくてさーなんて、相談してきてるのか?ただの愚痴なのか?よくわからない会話にもつきあわされたり。
子どもが話をしてくると、その流れから私もどうして?とか、これからどうするの?なんて聞くことになるので、どんどん子どものやっている勉強にくわしくなっていくわけです。
そんなわけで子どもの勉強状況が把握できているのだと思います。
こんなブログを書いてる私は、子どもの状況に詳しい教育熱心なお母さんにみえてるかもしれませんが。
実は子どもにうまく利用されて、知らず知らずのうちに受験の世界に巻き込まれていってるだけのお母さんのような気もしてます。
子どもに「どうしたらいいだろう?」なんて言われたら、心配になるし、そうなると色々情報を探したり色々考えたりします。
気づいたら(考えるお母さん)ができあがっていました。