考えるお母さん**大学受験を見守る         

塾なしオール公立の息子が東大生になりました。考えるお母さんがこれまでの子育てを考えてポツポツと語ります

子を思うあまり、親が子の気持ちを追い越してしまわないように

 

お茶を飲みながら子どもとこんな話をしました。

 

「お母さんは、あなたがどこの大学へ行っても構わないのよ。別に〇〇大学(第一志望の大学)になにがなんでも行って欲しいとか思っているわけでないし」

 

第一志望に向けて頑張っている子に、水を差すような発言ですが。

 

親である私と夫は同じ大学出身です。

でも大学のレベルでいったら、子どもが受験を考えるようなレベルの大学ではなくて、もうこの時点で親より優秀です。

子どもが受けようとしている大学のどこかへ引っ掛かったら、それだけでトンビが鷹を産んだことになります。

 

こんな私が高校受験や大学受験のサポートをしていると、まあ自分でも思うわけです。

成し遂げていない私が何かを言って説得力があるのかしら?

私は大学受験でかなりの失敗を犯していて(最後の1校しか受かりませんでした)、その時の反省や経験が逆に子育てに大いに役立っているというのはあるのですが。

 

Twitterなんかをみていると、親よりも優秀な学歴を持つ子が、親にこんなことを言われて傷ついたというようなことを書いているのをみかけます。

「親は〇〇のくせに」

というような言葉。

 

親が子どもに学歴を求める、親が〇〇大学へ行けという、そんなんじゃ受からないという、そんな成績なら部活の大会へ出させないと言う、模試の成績が悪いと怒られる、等々。

 

こういう子ども側からの書き込みだけ読んでしまうと、まるで見栄っ張りの親が無理やり子どもに勉強させ、いい大学に行かせて、自分が自慢したいだけのように読めてしまうのですが。

 

本当の親の心は違うんじゃないかと思います。

 

そりゃ人間ですから、見栄を張りたいとか、他人に子どもの自慢をしたいとかそういう気持ちが1mmもないとは言い切れないし、親が子どもを育てるわけですから、子どもの学歴というのも1つの親の仕事として評価される部分であります。

 

でも、1番大きい気持ちははそこではないと思うのです。

 

子どもが望むなら叶えてやりたい。

子どもが望むことを応援してやりたい、そこだと思うのです。

 

 

子どもが言った、ひとこと。

 

「高校は〇〇高校へ行きたいな」

「〇大、目指したいな」

 

「学年で1位ってどうやったらとれるんだろう」

「数学で満点をねらう」

「次の模試こそA判定を必ず取る」

 

こうなりたいとか、これからこんな風に頑張るとか、子どもは口にします。

 

そして、そういう前向きな発言をされると親はとっても嬉しいワケです。

ついにこの子が目標を持ってくれた!やる気を出してくれた!

 

しかし、子に限らず人間だれしも、目標を口にしたからといって、ずっとその気持ちを保ち続けるのは難しく、ましてやその目標に向けてたゆまぬ努力を続けるのはもっと難しい。

 

「数学を頑張りたいから問題集を買って!」

通信教育のDMをみて「これなら頑張れる」「今度こそちゃんと続ける」

 

あーついに本気になったのかと思い、子が望むならと買い物に走ったり、すぐに手配したり、親は嬉しくなります。

 

しかし、継続するという事がどんなに難しいか。

気持ちの継続も難しいし、行動の継続も難しい。

(ダイエットと同じですね)

 

主体的な気持ちの継続や行動の継続は難しい一方で、それを応援することや管理することは、それほど難しいことではないのかもしれません。

ましてや親ですから、子を想う気持ちは誰にも負けません。

 

この子の心の中にはこんな望みがあるのだから、私が精いっぱいフォローしてこの子の望みをかなえてあげたい。

私の働きかけでうまくいくことがあるのなら、それが嫌なことを言う役目であっても、お金をたくさん使うことであっても、なんとかしてやりたい。

 

そしてそれは望みを叶えてあげたいという気持ちだけではありません。

子どもの望みが叶わなかった時に、きっとこの子は「あの時やっていれば」「こんなことを知っていたら」と後悔する。

自分が努力してうまくいかなかった結果ならば自分を肯定できるだろうけど、そうでなければ自分を否定するかもしれない、悔いのない時間を過ごして欲しいから、そのために応援してあげたい。

 

これが親心。

 

見る人によって、どこまでやるかによっては、過保護とか構いすぎとかいわれるかもしれない難しいライン。

 

 

時として、親の方の気持ちが子どもの気持ちを大きく上回ってしまうことがあります。

こうなってくると、完全に親と子のねじれが生じてきます。

 

 

子どもが頑張ると言うから応援しはじめたのに、親の方がどんどん熱くなってしまっていつの間にか追い詰めている。

勉強に限らず、スポーツや習い事でも起きる話です。

 

私は子どもが小さい時から、親が子どもの気持ちを追い越さないように、これを心に刻んで接してきました。

特に意識しだしたのは、子どもが小学校3年生の時です。

時期をはっきり覚えているのは、私が子育てに悩んでいた時期だったから。

この時に、もう一方的に親が教えたり、親が何かを決めるというのはここで終わりにして、これからは子どもの意思を最優先に子育てしようと決めた時だったからです。

 

 

心に決めているとは言え、それでもやっぱり親の気持ちが子どもの気持ちを追い越しそうになる時は何度もありました。

 

やると言ったのに、すぐにやる気をなくしているときとか。

絶対に〇〇高校に行ってやる!〇〇高校以外行きたくないとか言うくせに、全然行動が伴っていなかった時とか。

 

まぁ、こういうことは何度も何度も繰り返し訪れますよね。

応援しているのに腹の立つこともあるし。

そんな時にいつも、私が子どもの気持ちを追い越さないように、冷静になるようにと心の中で言ってました。

 

 

 

一番最初の話に戻ります。

 

子どもも大きくなってきたので、親の心もよくネタばらしします。

 

「親が応援するのは、子どもがこうなりたいと言うからだよ。子どもの希望をかなえてあげたいから親は一生懸命になるのよ」

「お母さんはあなたに〇〇大学に行ってほしいと思っているわけじゃなくて、あなたが〇〇大学に行きたいというから、その願いが叶って欲しいと思っているだけだよ」

 

子どもは笑って聞いてましたけど。

 

そんなことは言わなくてもわかっていることでしょうけど、言わなくてもわかっていることを言うのも時にはいいかなと思います。

 

子どもは

「お母さんがどうこうじゃなくて、自分が〇〇大学以外は嫌なんだよ」

って言ってました。

(でも、勉強のやる気が…ってその後ぶつぶつ言ってましたが)

 

自分の口からこういうことを言わせるのもなかなか大事。

考えるお母さんの作戦がまたひとつ成功しました。

 

自分の希望が、いつの間にか周りの期待に応えるためという意識に下がらないように。

行きたいのは自分、合格したいのは自分。

 

受験期はメンタルが上がり下がりも激しく、不安や葛藤も多いでしょうが、自分が主体であることをいつも忘れないで欲しい。

 

余計なことだったかもしれないけど、私の安心にもつながりました。

子どもためといいつつ、自分のために言ったような気もしますが。

 

 

 

 

 

 

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