国立ニ次試験まであと135日となりました。
そろそろ受験校を具体的に考える時期にきています。
さて、今日のタイトル「入学するつもりのない大学を受験する意味」のお話です。
私はずっと疑問に思っていました。
なぜ受かっても行かないと言ってる大学を受験するのか?
大学の受験料は高いです。
一般選抜だと1校30,000~35,000円ぐらいでしょうか。
捨てるには高額です。
合格したけど「行かないから入学金は払わなくていい」とお子さんに言われた、というような話を見聞きしたことも一度ではありません。
ならばなぜ受ける?
中学受験の場合は、場慣れさせる、合格という成功体験をさせる、もしものために全敗で終わらせないようにすると聞きます。
高校受験の場合は、中学受験や大学受験と違って必ずどこかしらの学校への入学を決めないといけません。そうなると受かっても行かないと言ったとしても、そこしか受からなければその学校へ進むしかない、という事情もあるでしょう。
では、大学受験は?
中学受験と一緒で、場慣れさせるため?合格をとってはずみをつけて第一志望に向かうため?全敗で終わらせないため?
浪人するにしても、合格した大学があるというだけで気持ちが違う、そういうことなのかな?
1年間の心の安定のために払う受験料なんて安いものということなのか。
そんなことを考えていました。
でも最近、少し違う考えに気がつきました。
もしかしたら、万が一浪人した時のために翌年の志望校選びのために確実に受かる大学のラインを知っておいた方がいいのかもしれないと思いました。
先日「浪人生262の法則」という言葉を聞きました。
前年よりあがる人が2割・現状維持が6割・下がる人が2割、という意味だそうです。
実際にこれを証明するようなデータは無いそうなので、本当がどうかはわかりませんが。
なんとなく働きアリの法則からきているのかなという気もします。
現状維持が6割ならば、現役時代の現状がどのレベルだったのかはちゃんと理解しておいた方がいいのでは、と思ったのです。
受かってもいかない大学を受けておくというのは、そういう意味も含まれているのかもと思いました。
浪人した場合に、現役時代に合格した大学は実際に受けているので経験としても残るし、相性がいい安全校としても考えられる、そういう位置付けになるのかなと。
もちろん、現役時代に蹴った大学に浪人して入学するというのは不本意になるとは思いますが、そうならないために頑張るだろうし、もしもそうなった場合は、それが実力だったと受け入れられるのかもしれない、そんなことを考えました。
現役と浪人ではプレッシャーもまた大きく違うでしょうから、現役時代にあの大学は受かっているからという自信をもって受けられる大学があるのは、大きな助けになってくれるのかもしれません。
と親はそんなことまでを考えてみたりしてるのですが。
子どもは、絶対に浪人はしない、現役で行ける大学に行くと言ってます。
しかしその言葉とは裏腹に、行ってもいい(偉そうですみません)という大学は少ない。
一応、共通テスト利用と私立一般と国立後期まで考えているようですが、この中には受かってもできれば行きたくないなと言ってる大学も含まれています。
そういう大学は、オープンキャンパスはおろかパンフレットさえもまだ目を通していません。
実際に入試を受けてその結果をみて、また色々考えることもあると思うので選択肢を広げるために、無駄と思われるようなこともやっておかないといけないのだろうと考えるようにしているのですが、なんとも。
高校受験の時も、併願の私立には全く興味を持ってなくてやきもきしたのを思い出します。
併願する学校をいいいなと思ったりしないようにしているのかもしれませんが。
本音は、行きたいのは第一志望だけなんだと思います。
それならもっと頑張ればいいのにと、口にしてしまいそうになるのをぐっとこらえる日々です。